《源之丞》それ、本当に“しつけ”ですか? 〜子どもが悪いのではなく、怒っている自分に気づくことから始まる~

源之丞

「早くしなさい」
「何回言ったら分かるの」
「どうしてそんなこともできないの」

子どもに向かって、つい強い言葉を投げてしまう。

けれど、その瞬間、自分では「怒っている」と思っていないことがある。

しつけをしている。
教えている。
正しいことを伝えている。
子どものために言っている。

そう思っている。

でも、一度だけ立ち止まって考えてみてほしい。

それは本当に“しつけ”なのか。
それとも、自分の焦りや不安を、子どもにぶつけているだけなのか。

もちろん、子どもに教えなければいけないことはある。
生活のルールもある。
人として大切なことも伝えなければいけない。

だから、叱ること自体が悪いわけではない。

問題は、叱ったかどうかではない。
どんな心の状態で、その言葉を出したのかである。

子どものためと言いながら、本当は自分が焦っている。
正しいことを教えているつもりで、本当は自分の不安をぶつけている。
ちゃんと育てたいと思うあまり、子どもを自分の思い通りに動かそうとしている。

そういうことは、誰にでも起こり得る。

朝の忙しい時間。
仕事で疲れて帰ってきた後。
家事も残っている。
明日の準備もしなければいけない。
自分の時間などほとんどない。

そんな状態で、いつも穏やかでいるのは難しい。

だからこそ大切なのは、子どもを責めることではない。
そして、怒ってしまった自分を責め続けることでもない。

まず、自分が怒っていることに気づくこと。

ここが出発点である。

怒っている自覚がないまま、
「しつけだから」
「子どものためだから」
「親として当然だから」
と正当化してしまうと、本当に見るべきものが見えなくなる。

見るべきものは、子どもの欠点だけではない。
自分の内側にある焦り、不安、疲れ、寂しさである。

なぜ、そんなに急がせたくなるのか。
なぜ、言うことを聞かないと腹が立つのか。
なぜ、思い通りにならないことに強く反応してしまうのか。
なぜ、子どもの失敗を、自分の失敗のように感じてしまうのか。

子どもの問題に見えて、実は自分自身の問題が映し出されていることがある。

人は、自分の内側にあるものを通して相手を見る。

不安が強い時は、子どもの行動が余計に危なっかしく見える。
焦っている時は、子どもの遅さが許せなくなる。
自信がない時は、子どもの失敗まで自分の責任のように感じる。

つまり、子どもだけを見ていても、根本的な解決にならないことがある。

子どもを変えようとする前に、自分の見方を見直す。
子どもを責める前に、自分の心の状態を見る。
子どもを正そうとする前に、自分が何に反応しているのかを見る。

これが、僕は大切だと思っている。

しつけとは、子どもを自分の都合のいいように動かすことではない。
親の不安を子どもに押しつけることでもない。
世間体に合うように、子どもを整えることでもない。

子どもが自分で考え、自分で選び、自分の人生を生きていけるように導くこと。

そのためには、まず親自身が、自分の感情に責任を持つ必要がある。

怒りをごまかさない。
疲れをなかったことにしない。
不安を子どもの問題にすり替えない。

子どもが悪いのではない。
もちろん、母親だけが悪いわけでもない。

ただ、怒りが出ている時は、そこに必ず何かのサインがある。

疲れているのかもしれない。
助けてほしいのかもしれない。
分かってほしいのかもしれない。
自分の人生に余裕がなくなっているのかもしれない。

そのサインに気づかず、子どもだけを変えようとしても、同じことは何度も繰り返される。

子どもに怒ってしまう自分を、ただ責めなくていい。
でも、しつけという言葉で、自分の怒りをごまかさない方がいい。

本当に必要なのは、子どもを責めることではなく、自分と向き合うこと。

怒っている自分に気づくこと。
その怒りの奥にある本当の感情を見ること。
そして、子どもとの関わり方を少しずつ選び直していくこと。

そこから、親子の関係は変わっていく。

一人では整理できない想いがある時は、鑑定でお話しください。

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